1995年3月20日、神戸新聞、夕刊。灘区、長田区では競争倍率は300倍。その一方で郊外にある仮設住宅は全員当選し、二次募集も掛けられたほど。
最も被災ダメージが大きかった長田区の仮設充足率は1.6%(書籍:被災地の風貌 著者:柳原一徳 氏)。というのは、仮設住宅の殆どが郊外へ設置されたのだ。西区あたりは罹災戸数が約1,500に対し、仮設住宅戸数は3倍以上の約4,600設置された。
灘、兵庫、長田、須磨区は何れも仮設住宅戸数の設置数は270〜640戸。「新しい防災都市計画」として、住民不在の大幅な区画整理、道路拡張、高層化を進め、被災者を追い出した形となったと著者は記していた事も追記しておく。